さて、日本のわたしたちが想像する労働は、自分の地位や名誉や出世やお金の対価としてなされるものです。
それに対し、アシュラムでのあらゆる労働は
相手や、神様への捧げものとしてなされています。
アシュラムでの労働は、すべて奉仕というかんがえです。
ですので
アシュラムでのお食事作りも
修行として、奉仕としてなされます。
体に良くて、安全で、おいしいものを提供するのは
自分の名誉や虚栄心や出世のためになされるのではなく
神様へのおささげするお供えの表れです。
つまり
修行者としてのきよらかな態度が
おいしい食事や給仕してくださる「おもてなしの姿勢」に反映するのだと感じます。
神様には、よこしまな想いなどなんでもお見通し、
素直で謙虚で従順で、そのような態度で奉仕し修行されているのですね。
わたしも、この日本で、何事にもそのような想いで
とりくめるようになれたらいいなとおもいます。